ガネ子の落ち着かない日々シリーズ(6)

有人ミサイル?
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何でもそうですが、画期的な一品が世の中に登場すると、それまでがんばっていたモノ達でも「あっさりと切り捨てる」のが人間の性(?)。デジタル時計が登場したときは「アナログ時計がこの世から無くなる」と噂が、電卓が電気屋さんに並ぶと「子供達がソロバンを使わなくなり、馬鹿になる」と世のお母さん達が戦々恐々とし、パソコンが「出来るオトコの代名詞」になってくると「さらば紙よ、これからはペーパーレスの時代だ」と言ったもんでした。
今回のロッキードF-104スターファイターも「最後の有人戦闘機」と言われていました。なんで「最後の有人戦闘機」なのか?
おりしもちょうど東西冷戦のまっただ中、核ミサイル応酬の、文字通り「一瞬で決まる」戦争の中で、人が乗る戦闘機なんか出る幕ないと思われても無理からぬことかもしれません。しかし、周知の通り「針の時計」は無くなるどころか、むしろ高級時計の高みにのし上がり、電卓が登場してもしなくても相変わらず子供ってやつぁ・・・だし、パソコンに至ってはデータ破損の不安に駆られてプリントアウトにバックアップと、紙無くなるどころかむしろ増えてますケド・・・って感じで、まぁ人間浮かれたときのコメントはあんまりアテにしない方がよろしいかと。
で、スターファイター。無くなりませんでしたな、有人戦闘機。空気を切り裂くミサイルような機体デザインは今見ても斬新です。機体の細さはF1レーサー並み、主翼の薄さは「リンゴの皮が剥けるほど」実際駐機中に主翼前縁に頭をぶつけて大けがをしたメカニックがいたほど。
そんなある意味「究極の傑作戦闘機」は、当然あっさりとアメリカ主力戦闘機の座につくと思いきや、贅肉を落としに落とした機体には敵地に深く侵攻可能なほどの燃料を積めず。それどころか、当時開発されたフライト戦術コンピュータも積めなかったりと全然未来的じゃない機体に期待がっかり・・・みたいな。
でも、捨てる神あれば拾う神あり。「レーダーが届かない超低空、海面すれすれを対艦ミサイル積んで行けるじゃんコレ」ということで、ヨーロッパ勢がこぞってご購入。ヨーロッパお気に入りの戦闘機になって、イタリアなんか、ジル・ビルヌーブ運転のフェラーリと競争させたりと、その浮かれっぷりは、さすがラテン。日本もその機動性を高く買って、即決導入と。要するに航続距離の短さを気にしなければ、やっぱり傑作機ってとこで、見る目が無かったのかアメリカ?どやさ?

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